Cosnomi

プログラミングをする医学生。物を作ること、自動化すること、今まで知らなかったことを知ることが好き。TypeScript書いたり、Pythonで機械学習したりなど。

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SNSの「自由」: 無視と排除―Mastodonの視点から

Dec. 15, 2022ITMastodon

MastodonはTwitterのように短めの文を投稿できるSNSで、日本のインターネットでも過去に何回か盛り上がりを見せました。 Twitterと比べて自由であるという点が人気の理由でした。 しかし残念なことに、そのとき話題の中心にいたのはMastodonではなくやはりTwitterであり、Twiterに嫌気が指した人は一時的に他の場所を求めてMastodonなどに行き着くものの、1ヶ月もしないうちにTwitterへ戻っていくことが多かったようです。 今回の目的はそういった人たちを批判することでは全くありません。ただ、Mastodonの価値観はどうも誤解されやすいようで、とりわけMastodonの標榜する「自由」は原義とは異なった意味で人々からの期待や非難を受けるようです。

大きな誤解

第一に言っておかなければならないのは、Mastodonは何を投稿しても削除されない場所というわけではなく、あくまで好きなルールを選択できるというだけということです。 削除基準はインスタンスによって異なり、Twitterでは違反とならないような投稿まで削除されたり、BANされたりすることさえあります。 Twitterから言論の自由を求めてMastodonへ移住した人たちにとっては、この点について期待を裏切られたように感じるでしょう。

一方で、たしかにTwitterで削除されるようなコンテンツが認められているインスタンスも多くあります。 Twitterよりも「きれいなインターネット」を求めてきた人たちは、Mastodonを中心としたFediverse上にあふれるモデレーションされていないコンテンツの多さに怒りを覚えるかもしれません。

この点で、Mastodonの仕組みは表現について自由を求める人達と規制を求める人たちの両方の期待を裏切るともいえます。 しかし同時にMastodonは、両者の望みを叶えることもできる仕組みを持っています。 彼らが自分自身の思想と合致するインスタンスを選択すれば良いのです。もしないのなら、作れば良いのです。 もしあなたが極限まで自由な言論を望むのであれば、ほとんどルールのないインスタンスを作れば良いでしょう。 あるいはもしあなたが厳格に統制された空間を望むのであれば、厳しいルールを作り、それに違反したユーザをBANすればよいのです。 Mastodonは何でも発言して良い場所を無条件で与えるものではありません。 しかし、自らの責任において発言するのであれば、Mastodonはそれを妨げないでしょう。 その場合、あなたは自分の言論に対する完全な責任を負うことになります。

ここまでの説明でMastodonに対する1つの大きな誤解を解くことができたと信じています。 つまり、Mastodonは自分の思想に合わせて自由にインスタンスを選択できるのです。

しかし、「自由」といえば、最近では、表現する自由だけでなく、見たくないものを見ない自由を唱える人もいます。 もっと過激な人は見たくないものを排除する自由、見たくないものを作った人を社会から消し去る自由を主張する人もいます。 Mastodonはこのような主張に対して、非常に明確な哲学があります。

無視と排除―見たくないものを見ない自由

Mastodonでは見たくないコンテンツを無視する仕組みはありますが、世界から排除する仕組みはありません。

具体的には他のSNSと同様に、ユーザをミュートやブロックできます。 それだけでなく、各インスタンスはそれぞれの判断にもとづいて、他の特定のインスタンスからのすべての投稿をブロックできます。 こうして、受信側の裁量で見たくないコンテンツを事前に無視する仕組みはあるのです。

しかし、Mastodonは見たくないものを排除する仕組みを持ちません。 正確には、不快なものを自分の視界から排除できても、その存在自体を消すことはできないのです。 Twitterであれば、大量のアカウントで通報して非表示に追い込むという手法を取れたと思われますが、Mastodonではそれはできません。 通報に対応するかは完全にその管理者次第だからです。 仮に管理者が折れてその通報を削除したとしても、投稿者は別のインスタンスから、あるいは自分でインスタンスを立てて発信できます。

そもそも「不快なコンテンツ」はなぜ不快なのでしょうか? 目に入ることが不快なのか、あるいはそのようなものが存在していることが不快なのでしょうか。 Mastodonは前者に対してはミュートやブロックという機能を提供しています。 しかし、後者の不快感に対しては何もしません。 どんなに嫌悪感を覚える内容でも、その存在自体を強制的に排除する権限はないのです。

多様性のある社会では、自分の中に生じる負の感情を、すべて外のせいにするのではなく、ある程度、自分の中で処理しなければなりません。 それは多様性の代償であり、私個人の意見では誇りをもって払うべき代償だと考えています。 同質な社会、すなわち善良なるものと悪なるものの基準が統一された社会では、それに基づいて善良な表現・行為のみを許し、悪いものは排除すれば良いでしょう。 しかし、私達の住む社会には様々な背景や思想を持つ人がいます。 特にインターネットは日常生活で接する人よりも多様な人に溢れており、住んでいる国さえ違うことも多々あります。 そのような状況で適用可能な善悪の基準は極めて限定的です。具体的には法です。 ゆえに、自分の感情的な基準では悪に分類される表現や行為も、往々にして社会に存在し続けます。 もし仮に、その表現や行為が自分に直接的な害を与えているのであれば、毅然とした対応が必要です。 例えば、執拗に誹謗中傷のメッセージを送られたり、見たくないものを強制的に見せられたりする場合がこれに該当するでしょう。 しかし、そうでない場合、つまりただ自分が悪と考えるものが世界に存在しているだけなのであれば、どうしてそれにネガティブな感情を抱く必要があるのでしょうか? そして、どうして他の人はその感情に付き合って、その人の気に食わないものを排除しなければならないのでしょうか?

個人には不快なものを無視する自由があります。排除する自由はありません。

ところで、現実の空間では無視と排除を明確に区別することは難しいようです。 というのも、公共の場にあるものは、自分が見たくなくても視界に入ってしまうからです。 インターネット上のSNSであれば一般公開されている投稿も自分がミュートしていれば見えませんから、無視できます。 これは大きな違いです。 逆に規制される側の視点から考えても、現実の空間における規制は大きな影響があります。 一部の人にのみ表現を公開することは難しいので、ある表現が規制されれば、それから利益を受けるはずだった人もそれを享受できなくなるからです。 そのような論点において、現実世界におけるこのような問題は衝突する利益を衡量する必要があります。 しかし、インターネットにおいてはもっと単純に考えることができます。 見たくなければミュートやブロックを使えば良いのです。

不快なものを見たくないとか,あるいはおよそあるものを見たくないという感情の保護それ自体を当然のように制約目的として肯定し,場合によっては更にそれを憲法第13条や第21条に基づく権利であるとする答案が目についた。この種の利益保護を制約目的として認めることについて,検討ないし一定の留保が必要であるとの意識を持ってもらいたかったところである。

平成30年司法試験の採点実感」より

分散と連邦―有機体としての堅牢性

Mastodonには自由であること以外にもう1つの特殊性があります。それは分散(decentralization)と連邦(federation)です。 これらの特徴は、無視されたとしても排除されることはないというFediverseの仕組みを、有機的に保護しています。

分散していないシステムは外圧に対して脆弱です。 例えば、ある1つのプラットフォームが極めて寛容なコンテンツモデレーションを掲げて多くのユーザを集めたとしましょう。 自由な投稿の中には、有害あるいは不快なものが含まれ、規制派からの強い批判に晒されるでしょう。 例えば、スポンサー企業に圧力をかけたり、管理者を調べて嫌がらせをしたり、DDoS攻撃を仕掛けられるかもしれません。 そうなれば、そのプラットフォームはサービスの提供を辞めるか、強い規制を受け入れざるを得なくなってしまいます。 しかし、分散していればそのような問題が起こる可能性は低くなります。 「1つの巨大な悪」がなくなるので、どこを狙うかが難しくなるからです。 また、一部が消えたとしても全体のネットワークとしては残っているので、影響は軽微ですぐに復活できます。 分散によって、個々のシステムの堅牢性は変わらなくとも、全体としては外圧に強くなります。

しかし、分散だけでは不十分で、複数のインスタンスは緩やかに結合していなければなりません。 なぜなら、結合していない場所同士はユーザが移動しづらいからです。 実際、Mastodonのインスタンス同士は連合を形成しており、インスタンスを超えて投稿を見たり、リアクションやリプライをつけたり、フォローをしたりできます。 Mastodonには多くのインスタンスがあり、とあるインスタンス管理人から処罰を受けても他のインスタンスに移住すればこれまでと殆ど変わらずに人間関係を維持できるのです。 この考え方は分散SNSにおける「自由」を論じる上で重要です。 形式上の分散ではなく、実際に移動に支障のない分散を実現するためには、それぞれの緩やかな連合が不可欠なのです。

考えてみると、本来、インターネットそのものがそのような世界だったのではないでしょうか。 WWWでは各サーバは予め定められたプロトコルに基づいて通信することで緩やかに結合しているからです。 各々が自分のサーバでブログを書いて公開していた頃は、自然とインターネットにおいて分散と連邦が実現されていました。 しかしSNSの時代では、もう少し手軽に発信できて、なおかつ相互の交流もできる仕組みが求められています。 そう考えると、もう少し上位でのルール(プロトコル)が欲しいところです。 それを実現したのがMastodon、より正確に言えばActivityPubなのではないでしょうか。

まとめ

  • Mastodonは無責任に自由な言論を行える場ではない。しかし、自らの意思で、自由な言論を許す場や厳しく管理された言論の場を選択できる
  • 多様性のある社会において適用可能な善悪の基準は限定的である。ゆえに、感情的に不快ではあるが実害のない表現に対しては、無視すればよく、排除すべきでない
  • コミュニティを選択する自由は、それらの分散と連邦によって有機的に担保される

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